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「すべては許される」だけではない

しつこいがまた書く。(このブログを目にして下さる方は少ないし(そんなに多くの人に読んでいただきたいという風にも思っていないし)、目にする人は既に目にして下さっている確率は100%に近いけどまた書きます。気になり過ぎるので。)

 

「許す」と「赦す」 ―― 「シャルリー・エブド」誌が示す文化翻訳の問題 / 関口涼子 / 翻訳家、作家 | SYNODOS -シノドス-

 

「許す」と「赦す」は同じ意味ですよ - 図書館発、キュレーション行き

 

元図書館司書さんの記事の、「(記事の全体的趣旨に否やはない。念のため)」という一文を忘れてはいけない。

 

関口記事(敬称略)で「誤訳です」と指摘が入っているのは、「すべては許される」という訳に使われる漢字だけではない。むしろそこは二次的。一義的には、何を許しているのかという解釈が間違っているということ。こっちの方が重い、と私は思う。(漢字については、今回は書き分ける意味があり、今回は赦すとすべきと思う。今回に限らず言えば、赦す意で許すと書く人もいて、私自身は許すの中に赦すがあるという感覚を持っている。)

 

日本のメディアは、表現の自由は許される、CHの風刺は許される、イスラム教ムハンマドを風刺しても許される、というった解釈を、「~と見られる」、CHはそういう主張をしていると見られる、という書き方をしてしまっているんです。

 

そんな風には見られないですよ、違いますよ、と、関口さんは説明している。

 

「~と見られる」という逃げ場を用意した書き方なので、そういう風に見られる可能性がほんの少しでもあれば、間違った記事とは言えないのですが、大手メディアの、現地からの記事としてどうなの。CHに取材してから読者に伝えてよ、と思わずにいられません。

 

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この件について、どんな考え方があるのか関心があり、ブクマとか他ブログとか拝見したところ、漢字のみに焦点が集まりがちだったり、すごく考えようという姿勢で長文書いてる方が、この点をすっかりスルーされて、誤訳とは言えないかなという解釈に落ち着かれていたりして、待って待って!と思った。

 

えっと、まずは元の日本メディアの記事を全文読まなければいけない。ここ大切です。

 

関口さんの記事も全部読まなければいけない。

 

そして冒頭にも書いたけど、元図書館司書さんの記事の、「(記事の全体的趣旨に否やはない。念のため)」という一文を忘れてはいけない。読み飛ばしてはいけない。(私自身には馴染みがなかった「否やはない」、念の為調べたメモ:いなやはない:異論はない、同意するの意)

 

元司書さんは、あくまで漢字の指摘をしておられ、語源的にはその指摘に間違いはないのだろう。後半には異論がある。私は、語源と用法の変化、語源と今の日本語はある程度分けて考えるべきだと思う。日本で育まれ、ある程度日本語話者に馴染んだ使い分けを翻訳に利用するのはプラスだと考える。(←変化・使い分けを否定する派からするとマイナスだよということになる。)

 

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AFPを論拠とし誤訳でないのではとされているのを読んだが、AFP特派員フランス人日本語話者であるこちらのツイート(Karyn NISHI-POUPEE (@karyn_poupee) | Twitter)には目を通された方が良い。)(強い表現もあり、ちょっと気分害される方もいるかとは思う。)

 

英語では「All is forgiven」と訳されているので、pardonnéから派生したpardonではなくforgivenなんだな、と記されている方もいた(だからどう、ということで記されているのではない)。語源が全く違うので、forgivenにpardonné の意味がない、としてしまうのは危ない。語源が違うということは色んな可能性が広がる。(語源が同じであっても語源と異なる意味で使われている言葉もあるし。英語も日本語その他と同じ、変化してきた言語だから。)

 

人の書いた記事を読んであれこれ(どちらかというと否定的なことを)言うのは揚げ足取りみたいで嫌な気もするけど、そんな意図ではなくて、自分の関心のある分野について、考えを深めさせてもらえてる。AFPについても私もたまたま行き当ったし、forgivenについても英語だとそっちか、と思ったところだったりした。

 

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許す/赦す/ゆるす対象が何なのか。

「すべて」って「どのすべて」か。

それを伝える為に(漢字を)どうするか。

ということ。

 

この言葉を選んだ人の意図。一つではなさそうだけど。

 

日本のメディアが自身たちの知識や教養を集めて検討したり、CHに取材した上で、表現の自由も許されると主張しているようだとの解釈を置いたのであれば、誤訳と断定はできないだろう。

 

CHは幾つもの意味を持たせているだろうし(読者に任せている面もあるだろう)、その中に表現の自由、CHの風刺が含まれているかもしれない。でも大手報道機関がその1点のみを取り上げて、CHの主張はこうであろうと伝えるならそれなりの根拠が必要。

 

日常を暮していた何人もの人が突然むやみに命を奪われた、そういう人たちの命を奪うに至った人たちがいた、この不幸な出来事を、世界は多様であること、日本ではあまり知られていないフランスのこと、この事件を理解する助けとなる何か、色んなことを広く伝える機会にする力を大手メディアは持っているのだから、そういう力を使ってほしい。

 

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時事ドットコム:仏語学校の窓割られる=瓶投げ付けか−警視庁

ばかなことはやめよと言いたい。窓を割っても何にもならない。壊さず奪わず殺さず生きていく方法を考えたい。

 

壊しまくりなニュースを見る度、もったいない、壊すなと思う。人が建てたり稼いだお金で買ったり借りたりして暮らしたり働いたりしてきた建物等等をがんがん破壊してテントでたくさんの人が暮らしている。