四月

四月である。

まだまだとても寒い。体が冷える寒さ。風が冷たい。

 

でも、毎年のことだけれど、三月に入って数日も経てばウール系や冬っぽいアウターはもう着ないでいたくて、レザーやコットンのアウターに、ストールも冬物から薄いカシミヤに替えてぐるぐる。町に出れば、まだまだ冬の装いの人も多くて、そうよねやっぱり寒いよね、と思う。いつもの三月ならウールのニットも終了にしたい気持ちになるけど、そうもいっていられない寒さで、今も軽めの冬のニットは許している。

 

そして、これは三月も四月も関係ないと思うけれど、この数週間食べ過ぎている。今までにないくらいじゃないだろうか。ご飯をお替りしたり、食べないと無理!飢えちゃう!というような感覚、というのはこれまでなかったのでは。ごはんだけならいいか、、、と思っていたけど、お菓子も食べ過ぎてる。ふつうの、たくさん食べちゃったな、の倍くらいいってる。

 

太りすぎている家族のことを、今の半分くらいの時にでも止められたら良かったのになぜ、と言ったり思ったりするけど、これか、これなのか、という気持ち。このままこの食欲に負けると。

 

そんなに食欲が昂っていないのに、あるからかたづけよう、みたいにたくさん食べている時もあったりして、どちらにせよ、よくない。よくない。

 久々に絵本。

The Snowy Day

The Snowy Day

 

 切り絵、スタンプ、ベタ塗り、薄塗り、色んな手法を合わせた絵がとても良い。

見返しには雪の結晶が淡い色合いで踊っており、本編へ入る前から夢心地。。。

 

雪の朝、ベッドで目覚める男の子の服がアフリカンぽくて、読み進むと出てくるお母さんの様子などからもやはりアフリカンアメリカンのようだった。表紙からは全く気付かなかった。

 

後で調べたところによると、フルカラーの絵本では初めてアフリカンアメリカンを主人公に据えた作品だそう。もとは挿絵画家だった作者が、アフリカンアメリカンやその他のマイノリティーが主人公の作品ってないんだなと気付いて自分で書くことにしたそう。1964年の刊行。その年の優れた子ども向け絵本に贈られるCaldeott Medalという子ども向け絵本の賞を受賞してます。

Welcome to the Caldecott Medal Home Page! | Association for Library Service to Children (ALSC)

 

で、Wikiによると、作者自身は黒人でないことをがっかりする人も多かったよう。それはまあ想像できる。確かに私もこの本を読み、上記のような経緯を知ると、作者もアフリカ系かなと思った。Ezraという名前もアフリカ系なのかなと推測したけど違った(ポーランドユダヤ人、ブルックリン生まれ)。私は別にがっかりはしないけども。

 

さらに批判を受けたりもしている。文中で人種について触れていないとか、人種の違いを無視すぎていて(wikiによると、too integrationist 差別撤廃主義者、とある)、アフリカンアメリカンの文化や人種を表したり讃えたりしたものではないとか。刊行がちょうど黒人や黒人の文化を讃える意識が高まった時期でもあった。

 

ちょっとこの辺りは私には想像が及ばなかったな。黒人が主人公なんだけれど、だからどうこうっていうのじゃなく、子どもが普通に雪の1日に興奮して楽しむ、という話なのがいいなと思ったんだよね。

 

でも差別の歴史があり、それがずっと続く社会で被差別サイドで生きていれば、なんで白人が黒人の子の絵本を書いてるんだ、と、黒人や黒人家庭のことも何も知らないだろと、思う気持ちも、あくまで想像だけれど想像はできる。

 

圧倒的に優位な立場である白人が、黒人をモデルにした作品を描くことで利を得るという構図は不平等、新たな搾取、軽く扱いすぎ、と捉えられることもあるのだろうな。全く普通の日常を描いているにしても、主人公が黒人であるということで注目を集めた、ということはあるだろうし。

 

最近、Vogueの白人モデルと日本文化を併せた写真が問題になっていて、あれも私はへーと思ったのだけれど。白人という圧倒的マジョリティーが、マイノリティーの文化を扱うことってデリケートな領域なのだな。アートへの昇華に見えるような場合でも。

 

Prof. KellyのBBCインタビューのナニー騒動も思い出した。私も一瞬ナニーだと思った後に、でも母親かも?と思った。第一印象がナニーだった理由はいくつかあって。ナニーはアジアンが多い。子どもがミックスに見えなかった、白人に見えた。父親との服装の違い(父はビジネススーツ、母はカジュアル)。あの慌てっぷり。くらいかな。多分、床に座る文化のない人にはかがんで床面を移動する彼女の姿もナニーっぽく映ったのでは。

 

人種とは、PCとは、と、思いがけない方向へ思考が運ばれましたが、この本については、単純に絵の素晴らしさを味わうといいと思います。本当に、心が温まったり楽しくなったりする良い絵なので。

てれびの話を丸呑みしないで・・・

ガッテンは視聴率が上がってよかったよかったみたいな感じでしょうか。。。

今日は私は全然見ていないんだけど、見終わった家族が二名大いに盛り上がっており、ドラッグストアへわざわざ出かけて、コラーゲンを購入していました。

実験する、ということなんですが。

なんかショックで、

頭痛い。。。

書くのも恥ずかしいと思ったけれど、ショックが大きくて、吐き出した方がいいかなと思って。

 

悪いことに、二人とも乗せられやすい上に、家族Aが家族Bを煽るという構図があって。

AがBに「買って来い、買って来い、今買って来い」と言ったのだろうなと。

普段夜買い物に行ったりしないので。

(おれおれさぎにひっかかるとしたらこの構図。。。Bがどうしよう...と相談すると、Aが何をぐずぐずしているのだ、早く振り込んでやれ!と言いかねない。。。)(のでそんなことにならないよう気を付けてねとは言ってる)

 

いくつかの事例を挙げて話しても話にならないので、話さないのがいちばんなのかな。

(家族は話をずらすとらんぷ論法タイプ。。。)

話さなければお互いストレスにならないし。

でもここまでなんだなーとショック。

本当は頭では少しは分かってるけど指摘されたのが嫌でむっとしてるようならまだいいけど、そうではないんだろな。

ある方面に関してはなんでもかんでも反論するタイプなのに、どうして一応自身の専門領域なはずの健康・医療関連となるとあんなに素直にテレビネタを丸呑みしてしまうのだろ。。。(時には医療ドラマ見て最近はすごいな…なんて言っててもう、、、)やはり何方面にせよ自分の頭で考えてないということなのかな。批判又は肯定の一択。

 

効くことを期待している上に、私への反感も相まって、コラーゲン効いたわーてことになるんだろうけど、プラセボでも、まあ、気持ち軽くなるなら、いっか、、、

膝にヒアルロン酸みたいな、、、

 

ほんとショックが大きかった。

先週の謝罪見た後でこれだから。

先週のことも、納得した、とか言ってしまってる。(半分は私を煽っているのかと、思いたいけど、でもほんとに納得してるんだと思う。)

何をどこまで謝罪したんだろ。学会の抗議文や監修?医のコメントも踏まえたのかな。サイトの謝罪のままなら却ってガッテン深まってしまった視聴者もいるのかも。

テレビの力の強さを思い知らされたわ。

 

はあ。

もーいいや。

番組は良くないけど。

家族に関して私に必要なのはスルー力だな。。。へえ~とふ~んとそうなんや~で丸っと。話して互いに何か得るところがあるなら良いけど、どうもマイナス。