日々続いている片付けと断捨離。そのカテゴリーを作っておけばよかった。作るならこれまでの全部も入れたくて、でもそれは面倒だから、と作らずいたけど。作ろ。

 

あれこれやり過ぎていて、何をどうしたかもう覚えていない。そこまでやる予定じゃなかったのに手を入れてしまった、ということが多い。今も実家の押入れを。(やり過ぎて、という割には、減っていないんだけど、作業量が多いのですごくやってる気分。)

 

押入れやクローゼットや物置、いくつも作るものじゃないな、と思う。作っても、ぎゅうぎゅう詰めてはいけない。結局、奥に置かれたものは放置される。できる限り重ねず、1レイヤーで収めないと。特に片付けの苦手な人は。

 

とりあえず家のとある押入れは、把握していた以上に空箱がたくさんだった。把握していた空箱や、母が置いておきたがる緩衝材もけっこう処分。それでもまだ十分置いてあるけれど。実際捨てる物ってそれくらいじゃないかな。それでもずいぶんすっきりした。他の物置も含め、ほんとにいらない物がたくさん。

 

実家の片付けは、虚しい気分にもなるけど(何で私がやってるんだろうとか、この時間を自分のことに使ったらとか)、ついやってしまう。他にもこういうつい実家のことをやってしまう家族がいたらいいだろうなとも思う。

 

私も嫌ならしなければいいんだし、気が向いたときにやっているだけだけど、でもしなかったら、ほんとにあふれてしまって、ある物は目に入らず何度も買ってしまって、めちゃくちゃ。

 

なんなんだろうな。こういう、バランスの悪さっていうのは。物のない時代や家庭で育ったというのなら、本当に大切にすればいいのだけど。代々お金のある家で育った人はお金の使い方も貯め方も分かっているけど、そうでないと稼いでもなくしてしまう、みたいな論を聞いたことあって、まあ一理ある(勿論個々によって違う例はあっても)と思うんだけど、なんていうか、それに似たとこあるのかな。

 

友人には、実家きれいそう、ほこりひとつなさそう、等と言われるような、そういう雰囲気を外では出せているのなら、、、家でもがんばってほしい、、、でも外に出る時もごみ屋敷の人みたいな雰囲気じゃないだけでもいいのかな、、、

 

絵も色々あるけど(画家の知人がいたので付合い&応援で増えてるのもある)、掛け替えるでもないのだよね。父親があまりセンスはないのに変に盛り上がるタイプで、すごく大きなのを購入してしまったりで。この知人画家の絵は、私もまあまあ好きではあるけど、以前おじゃました別の人の家にもこの画家の絵がいくつかあり、でもうちにあるのとは真逆の、小さくささやかなサイズながら、あったら嬉しいような雰囲気の良いものばかりだった。こういうのもあるんじゃん!と思った。

 

趣味の物も、あまりためすぎない、いっぺんに買いすぎない、のがいいよね。半紙が山のようにあり、孫が使うかも、どこか小学校で使わないかななんて言って処分に至らないのだけど、でも孫にすら使うかどうかなんて一度も聞いたことないはず。陶芸も、あまり多く作ったり、大物を作ってしまうと、大変。

 

いや作るのも楽しむのも勿論いいんだけど、何事にせよ、選別して片付けるという行為を、時折差し込んでいこうよ!ということだよね。。。