衣類の断捨離活動(というか整理)がある程度進んで(行き詰まって)くると、衣類以外の物に着手したくなって、衣類以外にも手を伸ばしている。断捨離というか、単なる片付け・整理かな。

 

やってもやっても、、、という感じ。衣類も処分できる物を処分してもすっきりとまでいかないし、他の物も、今考えてるものを全部処分しても、すっきり!とはならないんじゃないのか。私個人のことと家族・親族の物や実家のことが同時に進行していて、余計頭がごちゃごちゃしそう。家族や実家のことは、たくさん処分してもなんで私がーという気持ちですっきりしない気持ちになる時もある。。。なんで私がというか、なんで皆やらないの??というか、皆やろうよ!という気持ちだよ。一人っ子でありたかった。せめて二人とか。

 

でもやらないよりやった方が絶対に良い。それに、頭がごちゃごちゃしそうな気がしても、やることといったら、捨てることだけなんだから。こんなにシンプルで明らかなことはない。

 

自分の、前回の引越しからの数箱をクローゼットから出して(ずっと放置している訳ではなく時折確認してる)、なんだかうんざり疲れていたけど、ちょっと道筋をつけるとやる気が戻って来た。未だ捨てる気にならない物もあって驚くけど、捨てられるものも多い。5月・6月、、、とりあえず5月地道にがんばろ。年々溜まっている特定の紙類の整理も絶対済ませよう。

 

衣類以外の自分の物の整理や配置にはある程度満足していた時もあったはずなんだけど。最近なんだかもやもやしていた。

 

収納場所を増やしてもね、、、という正論から思いとどまっているけど、今なお、以前から欲しがってる木の箱の追加への思いは消えていない。4つ並べたり重ねたりしたい。

 

口紅も新しい色欲しかったけど、今ある色けっこう気に入ってるんだから買わないぞ。

「はるですよ ふくろうおばさん」

 

 

 カバーの折り返しの説明に「~壮大な絵本!」とあったので、ふくろうおばさんの編み物が?どう壮大に展開するの?と読み進めた。壮大だった。

 

絵本の主人公がふくろう「おばさん」なのおかしいけど、寒がりかつ編み物するのおばさんぽい。「ふくろうおばさんは とても さむがり」、マフラーみたいなのを頭部にぐるりと巻いたおばさんの絵。編み物はしないけど私もよく似た寒がりなので最初のページからぐっと親近感。

 

自分で編んだ「からだが すっぽり はいる セーター」に入ってるけどそれでも寒くて編み物を続ける。木にかぶせるふくろ。となりの木にもかぶせるふくろ。どんどんどんどん編む。最後には森全体にかぶせるふくろ。それでも寒いのがかわいそう。。。(夏や冬、私も、この家を大きな格納庫に入れたいと思う。やっぱりなんか似てるで。)

 

「やっとすこしあったかくなってきた」感じもすごく分かる。もりに住むほかの動物たちが「うわああついよ」とどわーっと出てくるのが長新太らしい。

 

それでおばさんはふくろの毛糸をほどいてまくんですよ。ほどかずにたたんでおいたらよいのに。

 

色使いや、巣穴で編み物してるふくろうがかわいい。長新太さんのそんなに読んではいないけど、これがいちばん好きだな。

 

終わりに、解説がついていて、これは無粋なやつではというにおいがしてざっと読んだけどやっぱりいらないタイプの解説だった。この解説を書いてる人がラジオで話してるの聞いたりしたことあるけどどうも好きだったことがないので、合わないんだろう。ふくろうとふくろの言葉遊び的なの、私は気付かなくて、こどもの自分だったら着目したんだろなとは思った。

 

これは新装版ですが、1977年刊行。絵本をプレゼントする時の候補がひとつ増えた。

例年通りの地味で穏やかなGWを過ごしている。早寝に取り組んでいるけど眠れなくて、今夜も22時半に就寝したのに寝付けず、でもけしていんたーねっとにはつなげないぞと本を読んだりもぞもぞしたりしていたけど2時間たっても寝れてないのでつなげた。

 

ここ数年、春が来るとクローゼットの断捨離に取り組んでいるような。温かくなって活動しやすいのと衣替えのタイミングとも合うからなんだろう。毎年たいして中身は変わっていないのにうんうんやっているというのは、判断力が鈍いというかおかしいというかないというか。。。困ったものだな。でもこれを選んでいるのも自分なのだな。

 

今、自分レベルではなかなかの捨て捨てモードに入っている。(と毎回思っているのかも。)前回まで手放せなかったあれこれにもお別れしている。(これも毎回思ってるよね。)一方、いつもの通りお別れできない物も多く、理想とする「抜本的整理」には程が遠い。そして新しい物も、特に今期春夏はしっかりと増えている。この春になって33アイテム程処分しているけれど(タイツや靴下等の超小物や、ドレス的な特殊なアイテムも含む)、衣装ケース一つすら空にならない。とはいえ、こうしてぼちぼちでも片付けるの大切。各所に少しずつゆとりができるのは嬉しい。

 

こんな調子だけれど、もしざっくりと捨てることができたなら、どんな感じなのか。人間は忘れながら生きていくものなのに、何年も何十年もたくさんの同じ物があれもこれもと視界や思考にある訳で。これが半分とか三分の一とか四分の一とかだったら、脳内すっきりしたり、判断力その他諸々も良くなりそうだな。これ、断捨離活動の度に感じているかも。好きなものでもどんどん忘れていいし、忘れた方が気持ちいいのかも。

 

抜本的抜本的抜本的うーん。10%減らすのもたいへんだなと感じてる。パンツを数えてみた。72本中(スーツやジョギング用、登山用等、スウェットも含む、ショート丈7本は除く)6本の処分。

 

やはりある程度の量があるなら、1枚増えたら1枚処分のようにしていかないと、1年に4着でも10年で40着。5着なら50着、6着なら60着、、、当然蓄積されていく。最古品は約57年前のセーター。

 

まあもうちょっとがんばろ。バッグとかも。