今日の受診で転院決めて来た。

 

転院先の予約は3週間ちょっと先となり、危惧していた通り治療が先延ばしになってしまうけれど。事前の電話では初診は1.5ヵ月先という回答だったので、それよりは早かったことは良かった。悪化してからひと月経ってしまうのことはかわいそうだし進行が心配ではある。

 

この1週間悩みに悩んで、色んな人に問い合わせたりしてた(こんな時にも親身になってくれるのは兄弟ではなく友人知人なのだった…嬉しい涙と悲しい涙)。

 

今現在の痛みがつらいのに、先延ばしにするのは果たして正解なのかというのを最後まで悩んでいたけれど、今日の受診で吹き飛んだわ。

 

転院について私から両親に相談した当初は、二人とも引き気味だったけれど、二人で色々考えてくれたのか、昨晩~今朝には転院しようということになってはいた。これは、医師がどうこうというより、長い目で見ても、家に近い方が家族にかかる負担が少ないという点が大きかったのかも。私が既に疲れ果てていたし。

 

今日は、初診の悪印象は抱かずに、むしろ、まあいい先生なのかもしれないなどと思いつつ臨んだ。母の前の、年配の女性を診察する声からは、丁寧な印象を受けた。のだけれど、母の診察が始まるとたちまち転院で正解だったという気持ちになった。

 

「ぼくにとってはあなたが手術してもしなくても、どっちでもいい、どうでもいいんです」

 

いや、その宣言が我々にとってどうでもいいんですけど。それ言う必要ってなに。私たちにとっても、母の手術がこの整形外科医にとって重要であろうとなかろうとどうでもいい、ただ、あなたに執刀担当としての相応の技術があり、もし手術するとなった時にはきっちりやってくれればいい、それだけだし。

 

それ重要な情報ですから、ぜひとも病院HPのプロフィールに書いておかれたらいいですよ、とか、地元紙のエッセイにでも起稿されといたらええんちゃいます?等と言って来ればよかった。

 

もう一気に「怒!」となってしまった。もうこりゃ転院だわと心が決まったので、その後の進行は割と遠慮なくやらせてもらった。言葉は抑えたけど。

 

「決めるのは患者」という方針なのだと思う(「思う」というのはそういう言い方をせずにうんたらかんたら言ってるので推測した)、それにはこちらも完全に理解・同意だけど、そのことを言いたいためだろうと思われる言葉が、いちいち失礼で、しょうもない。例え話に「癌だったら」「脳卒中だったら」等挙げるのも無神経すぎる。絶対手術が必要な例を挙げたいなら、他にあるやろ。他の病名挙げずとも説明できるし。

 

僕たちにできるのは一般的な判断材料を提供することで、最後に決めるのは患者さんです、なんていうトーンでは全くないんですよ。

 

判断材料や参考となるような医学的・医療的な情報を提供することなく、しょうもない例え話を何度も繰り出したり、「人生観ですよ、さっきから何度も言ってるでしょ」というので、「先程からの先生のお話ぜーんぶ覚えてますから」と言っといたけど、抑え込んだ「何度も言わなくても分かりますよ」を抑えなければよかった。

 

何が人生観かっちゅうと、

MRI画像は重症、症状は軽症」で、じゃあどういう症状が重症なのかは医師が説明することではない。患者の人生観で決めること。手術するかどうかも患者の人生観で決める、らしいです。

 

「手術は絶対いや!という人もいるし、お薬も絶対いや!という人もいる、人生観」らしいです。こういう例え話みたいなんだらだら聞かされた。いやがる人の話はいいから。私たち手術も薬も拒まないから。

 

手術についての話で唯一まともでは?と思ったのは「麻痺する前に手を打たないと(手術しても治癒や症状緩和は見込めない)」なんだけど、そのタイミングなどについて突っ込んでも答えはなし!ぜんぶ患者が判断!わけわからんで。あんた専門医やろ。

 

次から次へと失礼を山積みしてくれたのちに、痛みを緩和する薬の話になり、ここでは平常心で話をする医師。手術ではなくそこへ持って行きたかったがための失礼トークだったってこと?知らんけど。

 

手術に関わらない話は普通のトーンで説明や会話が成り立つ感じなんですけどね。訴訟リスク回避にしても、他に言い方はたっくさんあるでしょ。

 

おそらく私たちが午前診療の最後で、11時の予約が既に12時を回っており、お昼も食べられずかわいそうにと思ってたけど、受診後は、しょうもない例え話を延々しなければもっと早く終わるでと思いました。

 

前回の、説明を極限までそぎ落とした診察は、患者は知識がないんだから全部医者に任せておけばいいという姿勢でなるべく多くの患者を診る為にそうしてるんかなーと好意的に考え直したりしてたけど、全然違った。「判断は全部患者がする。医学的判断材料は提供しません。」という姿勢。

 

確かに、術後も完治しない、後遺症が出る、進行するとうケースも人も少なからずあるのだろう。でも、医師はどんな可能性があるか逐一説明し、患者は納得した上で手術に臨むのが訴訟リスク回避でないの?違うんかな??

 

一瞬だけ、薬の治療をここで続けてもいいか、と思ったけど、その後また失礼発言止まらないので、一瞬で思い直した。

 

母が二度ほど手術の後遺症について尋ねると、

「後遺症は、下半身不随!!!」

「後遺症が怖かったら、手術はしない!!!」

「手術しなければ!後遺症はゼロ!!!!!」

 

医者の説明ちゃうやろ。。。

 

転院についてはこの医師の所見を聞いたうえで話すことにしており、もうこの人に聞きたいこともないし忍耐も使い果たした所で「実はこの一週間かなり悩んでまして、先々考えますと家に近い方がいいかと転院を考え…」と切り出したら、こちらの言葉が終わる間もなく「あ、いいですよ、どこがいいです?」と。良かったね、手術がいりますか?っていう患者が一人消えて。笑。

 

「遠いというほどのことはないだろ」と言うので「家のこととかあるんですよ、病院に来るだけでよければ遠くないんですけどね」とお答え。

 

これは父もそうで「近い」というのは転院理由として重要ではないと最初は言われた。家のこと回さなくてよくて、そっち方面への想像力がないと分からないんだろう。体力のある人なら、家や仕事が忙しくても今回程度の距離は全く問題にしないはず。でも私や母には移動距離・時間の半減は大きい。同程度もしくはより良い所がより近い所にあるなら、そちらを選びたい。遠くてもより良い医師・病院であるなら頑張るけど。

 

近さを求める要素として両親に話したのは、今回ケアする人の負担・疲労軽減以外だけでなく、今回の治療が落ち着いても、今後、経過観察や再発でまた通う必要が出る可能性は小さくはない、その時に転院というのもありだがまた今回のように「前に行ったところ」という選択になりかねない、今回の治療が先延ばしになっても今がんばっておくのは良いのではということ。先々、今いる家族がどうなるか分からない(父も持病を抱えており母には大きな負担となっている、我々もサポート要)、患者本人も年を重ねて体力は減っていくであろうし、タクシーで一人で通うにしても近い方がいい。(母にはこのタクシー代が効いたかもしれない。ごめんよ、タクシー代くらいいくらかかっても大丈夫だから心配しないで!と言ってあげられなくて。)

 

この医師の、電カル打つスタッフや看護師への態度もちょっと嫌だったし、この医師の文章も読んだけれど(この地方の医師会員が地方紙に寄せたものが医師会サイトに載ってる、病気について調べてて見つけた)、辻褄が合わなかったり、そこちょっと説明入れないと伝わらんで?という感じだった。この人とは全般的に合わないんだろう。

 

転院先の予約を待ってるセンターで書棚にあった本を見てたら、このエッセイにあった文に酷似した部分があった。ぱくったかな?

 

受診後は怒り心頭だったけれど、今はこの医師に悪い感情は持っていない。

(もちろん悪い印象は持ってる。なんていうか、情報として。)