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別になにじんでもいいよ。他人が気にすることではない。誰であろうと、そこは本人が考えたり考えなかったり、大切にしたりしなかったり、決めなきゃいけなければ決めたりすることであって。
「日本人の初快挙」というのは、日本人だし日本人として登録して出てるからその通り。
だけど、今まで日本人が誰も成し得なかったことをやり遂げてすごい!というのはちょっとへんかなと思う。バックグラウンド無視し過ぎてて。
日本人ぽくないとか、日本人とはいえない等は、ほんと今でもそんなこと言う人いるんだろうか。特に大坂選手についてそういう言葉は目にしなかったんだけど。まあ個々人でそう感じる人はいるだろうとは思う。(特に、単一人種・単一文化圏内に人生のほぼ全てを置いていると、外見や話す言葉の違いが与える印象というのは大きいのですよね、ナイーブというか、驚いてしまう。そこは最初は仕方ないとこもある。)
一方、否定したり疑問を抱くのと同程度のおかしさで今回割と目にしたのが、彼女はとても日本人らしい!日本人の心を持ってる!という主張。それもおかしいでしょ。なぜ他人が。人の属性を決めたがるのか。どうでもいいではないか。そんで日本人の心ってなんだ。
中でもひどくきもちのわるい記事を読んでしまった。脳科学者の人が「日本人らしさって何?大阪なおみの快挙を雑音なしに称えよう」というタイトルで書いているんだけど。中身がタイトルと違うじゃないか。君の記事が雑音だよ。このタイトルをそのままあなたに贈るよ。
終始「雑音」がなんなのか明示しないんだけど、文脈から推測するに、彼女が日本人であることを否定または疑問視するような見方のことを言っているのだと思う。
昨日の会見のことを受けて書いたのかな。もし会見後なら、本人が、「私は私」と明確に答えているのに、なぜこういう記事を書くんだろう。。。
ひどい箇所を少し抜粋、と思ったら、ひどい箇所がすごく多かった。。変な文字列が自分の日記に並ぶのいやだし、また長くなってしつこいし、書くのやめようかと思ったけど、抜いてきちゃったので書きました。
では、なぜ「雑音」が生じるのかと言えば、大坂選手が「典型的な日本人」なのかどうか、という迷いがあるからに他ならない。
日本「村」の「村民」として、大坂選手を自分たちの「仲間」だと思えるかどうか。
この点に、今回の快挙を「雑音なし」に純粋な喜びとしてお祝いできるかどうかの分かれ目があるのだろう。
私個人は、純粋に喜んだ。一方で、そうではない方々もいた。そんな方々が、さまざまな雑音を立てたに違いない。
村意識を前提とした喜びが純粋なら、ここで言ってる「純粋な喜び」って「狭量な喜び」なのでは。 あなたのいう雑音と同程度には悪いし、もしかすると雑音より悪いのでは。回り回って同じなのでは。
これからの日本をどう発展させていくか。そのことを考えると、大坂なおみ選手の快挙は、大いに参考にすべき「成功事例」だと思う。
まず、エスニックな背景のさまざまな方が、日本に縁を持って活躍する機会をつくること。
いい迷惑だし、全然純粋じゃなくなってるで。それとも彼にとっての純粋な喜び=日本の発展のための成功事例なのか。
大坂選手が、競技のために栄養学的に考えられた食事を抜きにすれば、試合後真っ先に食べたかったものは、カツ丼やカツカレーだったという。これはもう「普通の日本人」の女の子の感覚そのものである。
大坂選手は、その精神性においては「典型的な」「普通の」日本人の気持ちを引き継いでいる。大切なのは、そのことだけである。
彼女のこれまでの全てのバックグラウンドが彼女を形成している。あなたのいう「典型的な普通の日本人の気持ち」とやらではない。
典型的な日本人ではない人に不安を覚えてしまう人に向けての、不安を解消する答えがこれなんですか。外側を同じにできないなら内側を同じにと。そんなに同じが好きか。好きなんだろな。。。そんなに多様性苦手ですか。。。
大切なのは、決勝でのテニスが素晴らしかったこと(プレーもマナーも含めて)、それだけだよ。
日本の良さをどう発展させるか。グローバル化の時代に、どう適応するか。そのためには、日本の精神性のコアを大切にしつつ、日本や日本人を狭く捉える偏屈さから開放されていくしかない。
「典型的な」「普通の」日本や日本人が何なのかということについて、狭い考えを持つべきではない。ましてや、それを「雑音」として人に押し付けるべきではない。
大坂なおみ選手は、試合前のインタビューで、セリーナ・ウィリアムズ選手のことを「愛している」と発言した。
また、対戦する時にはただのプレーヤーになるけれども、試合が終わってハグする時には、またウィリアムズ選手に憧れる一人の少女に戻る、とも発言した。
このような発言は、最良の意味で、日本的な純粋さが表れていると言えないだろうか。
さっぱり分からないな。。。少なくともここには日本的な何も表れていない。表れているのはなおみらしさ。
純粋だけでは事足らず「最良の」と。最初の方から感じてたけどやっぱりこの言葉の使い方はこわい。
彼女の闘いぶり、そして発言には日本の精神性の良さが如実に表れていた。大切なのはそれだけであって、それ以外のことはすべて「雑音」である。
「結論を言おう」なんてあるから、何書いてあるのかちょっと期待したら、ここまで長々と述べたことを繰り返してるだけだった。
表れていたのは「日本の精神性の良さ」ではなく、大坂選手の成長。そしてその成長は、色んなルーツの人が集まったチームが支えてる。
最後の一文がほんとうに純粋な雑音だわ。
どうしたの?どうしてこんなに狭量なの??
詰まる所、多様なルーツを持っていても、僕の思う「日本的精神」を持っていれば日本人だと。
ほんと、多様性に慣れた方がいいと思うけど。。くにのはってんのためにもなると思うけどな。。。
専門領域で注目されて一般のメディアに出始めた頃の話は興味深くても、その内あらゆる方面についての識者的発言やお仕事が増えてくるとあれれ??となる人少なからずで、この方もそんな感じで、ずいぶん前から書き物などを目にすることもなくなっていたんだけど。今回のこれにはびっくりした。
日本すごい系の人とは思っていなかったし。お仕事もらうために媚びて書いてるのかな。そういうことはしなそうな人だと思っているんだけど。本当にこう思っているんだろうか。
抜いてきたとこ以外も色々おかしかった。(切り取ると全体が見えないからあまり良くないと思うけど、全部読んでも変わらずおかしい。)
だって、「アメリカなら誰でも典型的なアメリカ人になるけど、日本は違う」って書いてるんだよ。いやアメリカでも色々だし。日本だって色々でしょう。この説に乗せると、幼少期からアメリカに住む大坂選手は典型的なアメリカ人なはずなのに、がんばってがんばって典型的な内面日本人枠とやらに嵌めようとしてる。
まじめに読んでばかだったかな。いつもはこういうの見かけても読まないようにしてるんだけど。つい。
あと、さんざん持ち上げて後で落とすことを心配してる人がいて、そんなことあるっけ?とぴんとこなかったんだけど、この記事読んでるとそういう心配も理解できた。自分たち勝手に作って勝手に押し込んだ枠に嵌らないことがあった時、受け入れられなくてたたいちゃうってことなんだろな。