夏の本2

 (夏の本というタイトルにしていますが、夏に読んだ・読んでいる本なだけで、夏のお話の本という訳ではありません。)

 

台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年

台湾少女、洋裁に出会う――母とミシンの60年

 

原題は「母親的六十年洋裁歳月」。

台南で洋裁学校を開いた著者の母(1918年生まれ)の話。個人史でもあり、小さな社会史でもあり。

 

洋服の世界の入り口が包装に使われていた日本の雑誌だったり、東京で勉強したり。新しい装いに憧れてわくわくしてどうやって作るのか研究して貪欲に技術を身に付けて。まさに台湾 版カーネーション。ミシンがあれば女性で個人でも仕事になる、新しい世界。結婚後も夫やその仕事優先では全くなく、転勤にも一人で行ってもらって、スタッフを増やし生徒を増やし学校を拡張し、自分の学校を力強く運営していく。

 

台湾では昔から女性も普通に働いてたのかと思いきやそうではなく、家業を手伝うのはともかく、外で仕事をするのは対面の良いことではなかったよう。この本では1930年代からのことが描かれているんだけど。著者母はまず独学である程度の技術を身に付け洋裁店で働き始めるんだけど、この頃、家が困窮していたので、父親が外の仕事を許したそう。

 

親族がすごく助け合うという慣習があったようで。助け合うというか、もともとは家長(長子)が皆の面倒を見るのだけど、家が傾いたりして難しくなると、できる人が助けてあげる感じ。同じ家に住んだり仕事を世話したり。(今でも、どこでも、家によっては普通にあることだろうけど。)

 

写真がたくさん掲載されているのも嬉しい。家族・親族の写真や、学校の記念写真など。当時の洋服、流行の変化。新しい服を見たり作ったり着たりする時の、わくわくする気持ち。

 

安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)

安閑園の食卓 私の台南物語 (集英社文庫)

 著者 (1933-2002)  は日本で料理研究家として活躍された方のよう。上の洋裁本とともに、台南にまつわる本を探していて出会った一冊です。

 

台南の裕福な家庭に生まれ育った著者の、大家族のおなかと心を満たす日々の食卓にまつわる記憶。普段の食事から特別な祭事の料理、どれをとっても手が込んでいたり、馴染みのない食材がたくさん登場したり、私がこれからもまず口にする機会はなさそうな料理がたくさん。読んでいてとても楽しかった。食材や料理法の話を中心に、他の文化や慣習についても触れられていておもしろい。

 

血を使った料理は今も夜市なんかでも売っている。私が見たのは豚の血をゼリー状にして小さな立方体に切ったもの。現地の友人に勧められてちょっとだけ食べた。特に味はなかったような。友人の家ではお母さんが新鮮なものを信頼してるお店から買ってくると言っていた。血を買ってくるんだったか、調理したものを買って来るのだったか覚えていないけれど。

 

著者の日本でのストーリーも織り交ぜてある。男ばかりの調理師に豚の内蔵料理の指導に呼ばれ(呼んだ方は、20代の女の子が来るとは思っていなかったよう)、子供の頃に家の調理人がしたのを見たことはあるが自分ではやったことのない肺の調理を、記憶を頼りに考えてやりとげているのがすごい。

 

この本に限らず、著者自身ではない個人のけしてポジティブではないプライベートについて書かれているといいのかなという気持ちになる。。読者としては、過去の一文化、人の歴史として、おもしろく読むのだけれど。

 

各章の終わりにはレシピが一つ掲載されていて、これも私はひとつも作ることはないでしょうが読むだけでもおもしろいです。

 

私が台湾へ行った時の台湾料理の印象は、味が薄くてヘルシー。優しい味の食べ物が多い。それほど「おいしい!!!」とは思うことはないけれど、体が健康になったような感じがした。

 

鼎泰豊がいっぱいで代わりに行ったお店は、友人たちはおいしそうだったけど私はよく分からなかったし、ドライフルーツ屋さんでも、きっとおいしいはず!と色々と試食したんだけど何かが違ってどれも買うに至らず。何か味を付けてあったんだろうか。羊肉のそうめん屋さんでは生姜の千切りが山盛り置いてあって、好きなほどのせて食べるのだけど、これも感想としては「おいしい」ではなく「ヘルシーで嬉しい」。味が薄いからといって、塩や醤油を足したい!とは思わなかったな。これはこういう料理、と受け入れていたような気がする。