2才の子を発見した78才のおじさん、最近珍しい、清涼感溢れるニュースだった。おじいさんだけど、おじいさんと呼べない、おじさんとしか呼べない。

 

あのパワー、たくさんの人に良い影響を与えてるのでは。もっと些細なことで人助けしようかちょっと迷った時にあのおじさんのこと思い出して手助けできる人が増えるのでは。

 

おふろくらいはいただいて帰るんだろうなと思ったら、勧められても断ってた!

 

どうか入って行って下さいという気持ちも、断る気持ちも、すごく分かる。けど本当に断るの、すごい。

 

ボランティアだし、見付けたのは自分だけど他にも大勢で探していたんだし。あのおうちも子どもが見つかったからといって落ち着いている訳ではないし。役に立ちたくて来た自分の為に手間をかけては申し訳ないし。

 

すっと来てさっと帰る。

 

(被災地に「ボランティア」に行って騒いで避難所に無理やり宿泊した町議の人が見て、心の底から反省できたらいいなと思った。)

 

このおじさんのことが、五輪ボランティア推進に持ち出されたらやだな。日常や事故や被災等々で困っている人を手助けするボランティアと、商業イベントのは違うし。自らやるボランティアと、国がやらせたいのとは違うし。

 

そもそも本当は11万人なんて不要なのでは。駅などでの道案内とその他運営に必要なスタッフ、みたいになってるけど、前者は全く不要、後者はお金出して雇おう。(スマホもあるし、案内表示も絶対掲示するし、東京の小さい駅にボランティアうろうろしてるのじゃまでは?)

 

日本の生産性や効率がぐだぐだなのって、実質の退職年齢が遅すぎなのが一つの大きな一因なのでは。トップが高齢すぎる。そのトップに皆物が言えなくて変われない。無駄にお金を流さずに年金をきちんと確保して、皆が第二の人生を歩めるようにしておけば良かったのに。給与が上がっていないというのも再雇用や役職だけの人達が増えすぎてる為もありそう。

 

年を取ったら何もするなというのではなくて、組織に乗っからずに、一歩引いたところや現役とは違う世界で、元気に活躍したい人は活躍したり、ゆっくりしたい人はゆっくりしたり。

 

あの子がいなくなってから見つかるまで、いったいどうしていたのかたいへん興味はあるけれど、まあそれはこれから彼の直近のご家族だったり今後の友人だったりが耳にすることはあるかもしれないけど、そうでない人たちは諦めて、もう誰も会見しなくていいし、メディアは取材に行かなくていい。お母さん会見するのかわいそうだった(メディアには書面でいいのでは。警察消防へは直にお礼に行かれるだろうし)。発見後、おじいさんに「そもそもどうしてこうなったんでしたっけ?」と聞いてる記者は性格が悪すぎるし。今日も状態の詳細を病院が会見開いて発表していたけど、そんなに詳細はなくていいし書面等でいいし。退院も追っかけなくていい。