ハンガー部門もざっと終えて天袋へ突入している。そんなつもりではなかったんだけど。こんなにやるなら、ゴールデンウィークにやってればよかったのでは。衣装ケースを見つめている間にですよ。でもその時は、物の断捨離はまた今度という気分だったんだ。

 

変わらず、行きつ戻りつ。捨てる→捨てない→捨てる、とか、最後に1回着て処分しよう→やっぱり今後も使おう、とか。もういいんじゃない、と思うけれど今はまだ気持ちが離れられないものもある。

 

でもだんだんお別れする分量が増えて来た。近い内にお店に持って行こう。スーツやジャケットやスカートもいくつかさようなら。衣装ケース1つ分くらいはあるけど、既に抜いてた服やハンガーからの服も多いので、スペース空いた感じも、見た目のすっきり感もさほどない。でも、以前より少しでもゆったりしてるのは嬉しい。

 

天袋に置いてた段ボールが一つ空いた。引越した時からのもので、時々整理しつつ置いてた。中身が全部なくなった訳ではなく、置き換えたものが多いけど、使いたい時にぱっと出せるようになった。他にも整理し直して収納も小さくそして使いやすくなった箇所もある。物の整理自体はだいたいいつもできてる気がしているけど、こうして時折手を入れるの大切。

 

がんばろがんばろ。

 

そして天袋には軽い羽毛布団やタオルケットや毛布くらいしか置かないくらいがいい。重たい物はたいへんだし危ないし。特に年を取ったりして力なくなると。なので、ほんと、元気なうちに荷物を減らしたり、しまいこみすぎないようにしておくのって大切。

 

なのだけど、うちの両親はそういう発想がゼロで、すごい。ゴミ屋敷への第一歩は踏んでる。これまで私もけっこう片付けたけれど、全然追いつかない。母に見つかると、もったいない、何かに使えそう、から、自分たちは物のない時代に育ったから~となるんだけど、大切に使っている訳ではなくて、同じものを次々買い込んで使わないまま何年も経っている。買いすぎて分からなくなっている。掃除用品はなーーーんにも買わなくって大丈夫だからね、と言ってるのにある日何か買ってたり。以前も書いたけど、生協が危険。要らない物がたくさん。変な所で極小の節約を気にしているけど、そういう買い物しない方がよほど節約になるのに。せっかくの家なのに、すっきりきれいに暮らした方が本人たちも本当は気持ちいいはずなのに(押付けではなく、きれいなのは好きなはず)。片付けも掃除も決して得意ではないのだから、なるべく散らからないように、物を増やさないとか、こまめに捨てるとか、何か対策したらいいんだけど、なぜなのかそういう発想がほんとになくて。今の家への引越しだって苦労したはずなのに。それとも苦労したのは手伝った私だけだったんだろうか(住んでないのに主力だった)。いや少なくとも母は引越しの苦労を複数回経験してるはずなんだけど。ずっと物があふれてるから麻痺しちゃってるのかな。父がひどすぎるから自分の方が見えないんだろうか。(他にもひどい親族がいるのも悪い。実家やその他あちこちに荷物を置いたまま全く片付けない、そういう気持ちがない。不思議。もう全部要らないんだと思うんだけど。パワースポットとか手首の数珠とか(…)スピリチュアルなこと好きなので、そっち方面から断捨離や片付けに目覚めたらいいのに。)

 

昨年、前から何度か言っていた布団をようやく整理する気になってくれたので、はりきって行くと、ほんとに少しだけでさほど変化なく、驚きと共にがっくりしてしまった。けど、やらないよりはずいぶんいいかな。。。片付け本をあげようかと思ったりするけど読んでくれなそう。写真の多い雑誌ならどうかな。ガッテンなんかで断捨離系やってくれればいいのに。でも消費抑制を促進するような番組はやらないんだろな。はあ。

 

まあ取りあえず自分のことをがんばろ。そんで時折は両親の周辺も、一緒にがんばってもらお。

 

暮らしの様々な側面において大切なの、バランスと知性と理性だよにゃ。。。