現代美術館

都立の現代美術館に展示された作品にクレームを付けた人がいて、都と美術館はそちら側に回ってしまった。美術館の現場担当はそうではないのだろうけど、広告屋さんから来た館長がそうなんだろうか。「おとなもこどもも考える ここは誰の場所?」、そんなテーマで企画する学芸員が簡単に折れるはずはない。今回の件は、現場がどうこうより、誰がクレーム入れたのかがポイントなんだろう。自分に都や館を動かす力があると分かってやっているのだろう。考えるための展示である。アーティストと館が念入りに用意した展示を、さらに館や都がこどもにふさわしいかどうか再考して展示し直すなんてばかげている。都の文化施設担当課長の「お子さんには難しいのかな」「もうちょっと親しみやすさが出ないか」という言葉にも呆れる。ゆうえんちじゃなくて、現代美術館の展示品に、分かりやすい親しみやすさなんてなくたって一向に良い。このクレーマーがこの展示は撤去すべきだと考えるのは構わない、なぜ撤去すべきだと思うのか、撤去しなければどうなのか、撤去するとどうなるのか、自分で考えればいい。美術館に自信の見解を伝えたっていいし、「撤去すべきだ」と伝えたっていい。けれど考え伝えるだけでなく都や館やアーティストに押し付けたいなら、クレーム屋さんは名乗り、名を伏せている都の部署も明かし(なぜ伏せるのか…)、広告の館長も、学芸員も、アーティストも、そして観覧者も集まって、皆で討議するといちばん意味があるんじゃないかな。クレーム屋さんは別に意味あることや考えることは望んでいないにせよ。

 

この国(国家)やばい、終わってる、と思うことの多い日々、このクレーム屋がどんなに力のある人物や団体であっても、いやむしろ、何らかの力を持っているほど、美術館が聞き入れて作品を撤去するなんてことになってはいけない。明日も展示が続いていなくてはいけない。

 

でもほんと、ちっちゃいよね。写真で見ただけでも、そんな目くじら立てるような作品じゃないでしょ。

 

美術や美術界を守ってきた人間が美術館の館長になれない仕組みも、こういうこと日本ってよくあるけど本当におかしい。