女性の体

これ何か月か前から書いてるんだけどまとまらず終わらず、その内これにまつわる色々な出来事をまた聞いたりして追加して…終わらない。

 

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産めとか働けとか輝けとか色々耳にすることが多かったりして、考えることも増えた。

 

やっぱり日本はかなり男性社会だなと思う。もう古い話になってしまった感ありありだけど、あの野次とかほんとありえないのです。一人だけ謝罪して終わりなあの幕引きも。分析で別の声も上がっていても。あまり取り上げられてなかったけど「独身らしいぞー」という声もはっきり出てた。言った人たちは、たまたま野次ネタが年齢や結婚出産だっただけで何がセクハラなの~?て感じなんだろうけど。他のことが当てはまれは他のネタで野次ったんだろうから。(そもそもああいう野次が下品すぎて嫌だけど、そういう世界でお金稼いでる人たちなんだよね。)(政治家がいない世界って作れないものだろうか。上がってくる政策とかも、どういうセンス?ということ多い。政治家がいなくても結局似たような別の権力者が表れて同じことになるかな。例えば町内会みたいな何かないものか。)(やっぱりお金と権力が集まると人は阿呆になるので、給与は国平均以下、領収書も会社員と同様1円まできっちり、交通費も払う、宿舎とかやめておうちに帰る、年金も普通に、等々一般企業人と同待遇にしたらいい。)

 

こういうのはアメリカとかヨーロッパとかうらやましいなと思う。日本って本当に年齢や結婚がネタにされがち。悪意はなくてもとりあえずスモールトークのネタにもなっちゃう。ある年齢の人に「全然見えません」「若いですね」という褒め言葉も好きではない。なんだか失礼だと思うんだけど。

 

何だか近年女性についてあれこれ言われることが本当に多くて、夫に尽くす妻のドラマ予告さえ気持ち悪く感じた。これだけ女性の自立とか仕事とか言ってるんだから、結婚して子供いて仕事してる素敵な大人の女性のドラマでも作ればいいのにと思う。海外ドラマだとそういう設定も普通にあるけど。なんだかnhkって大人の女性だと年下と不倫とか恋愛とかで、今度は時代を遡って夫の夢を支えるで、単にドラマネタにしやすいだけなんだろうけど気持ち悪い。

 

でもほんとこんなにあれこれ言われてるんだから、家電や洗剤のCMも夫or夫婦主体にしたり、家での家事ができなかった夫ができるようになっていくドラマとか。

 

輝けと言いつつ、しゅしょうの奥様は今の自分があるのは夫のお蔭~みたいな言葉をFBに載せたり、なんだかこの国での女性にまつわることは気持ちの悪いことが多い。「なでしこ」とかほんと止めてほしい。サッカーだって、「男の子のスポーツ」だった所に私もやりたい!と始めた女の子たちが努力して実を結んで…なのに、なでしこ。(他の日本代表の「なんとかジャパン」自体、いらないと思ってる。)

 

で話が少しそれるというか、こっちが本題だったんだけど、先月だったか、自身の性器(外側だけのはず)の3Dプリントデータ配布したことで女性漫画家が逮捕された。何で逮捕?と思った。それ以上に立体的な物はむかーしから販売されているし、性に関する犯罪行為を題材にしたあれこれもたくさん売られていて、どんなに性犯罪が起こってもそっちは取り締まらないのに。会社としてやるのは良くて、個人でやるからだめなんかいな?とかよく分からなかった。

 

その女性は、女性器を女性性から解放したいということで色々活動されてるようだった。その時はふーん、、、と何となく分かる気はするけど、グッズにしたりボートにしたり、面白いとは思ったけど、そうしたい気持ちが明確には分からなかったんだけど、数日前に何かで聞いた記事で、なんとなくしっくりきた。

 

フランスのヌーディストビーチの記事だった。女性が今までみたいにトップレスでいられなくなってきたという話。フランスでの女性の裸に対する意識にアメリカ由来の意識が浸食されて、性的ないやらしい視線を浴びることが増えて来て、これまでのように開放的に気分よくビーチにいられないということだったと思う。(どこの記事だったのか、忘れてしまった。読んだんじゃなくてラジオで聞いたはず。NPRかな。)ドイツではまだそういう傾向はないようだとも言ってた。

 

トップレスでも恥ずかしくないというのはいやらしい目線がないから、解放されているから。それが普通だったのに、そうではなくなってしまった。女性漫画家がやりたいのはその逆のことなんだな。別にいいじゃん、体の一部じゃん、なんでだめなの、という。

 

確かに、私も、男性は上半身裸でも平気でいいなと思うことってある。なぜ男の胸は出ていていいのに女性の胸はこうも性の対象なんだろうと少し理不尽に思わないでもない。ムダ毛(とくに脇)もそう。

 

多分私が女性漫画家の目指すところがさほど腑に落ちなかったのは、男性も女性も普段は性器は出しておかなくてもいいな、と私が感じているからだろう。彼女にとっての性器は私にとっての胸の感覚あたりで、それは個人差なんだろう。

 

フランスでのことだったか、美術館で、女性が裸婦画の前で自身の性器を露わにしたという記事も最近読んだ。絵はいいのに本物がなぜいけないのかというパフォーマンス。でも、絵は、絵を見ようと思って見に来てるけど、彼女のことは不意打ちだから、別に見たくない人もいるから、こういうのはそんな風に強引に絵と同列に持って来るのは違うと私の感覚では思う。

 

でもきっと彼女にはもっと色んな思いがあるんだろうとも思う。私の持っている「わざわざ見たくない」という感覚(見えてて普通とはあまり思えない)も、育ってきた環境に縛られているからなのかも?単に、手や足のように見える状態に慣れていないからかも?考えていると、出ててもいいかという気もしてくる。

 

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ビヨンセが女性の強さを大切にする歌を歌ってるのに、なんでああいう露出の衣装が多いのか不思議なんだけど、あれも解放なのかなー?いやあれはやっぱりUSの「女性=胸!おしり!」を求めるマーケットが要因なんじゃないのか。でもビヨンセファンって女性&ゲイが圧倒的ぽいから、違うのかな。ビヨンセに聞きたい。んであれも見慣れてしまって、ステージであれじゃないビヨンセだったら違和感感じそう。

 

例えば、男性に会う時より女性同志で集まるときのほうがおしゃれに気合入る人って少なくないと思う。張り合うっていうんじゃなくて(そういう人・場合もあるかもだけど)女同志で、おしゃれして楽しむ。そうでなくても、ただ単に自分がおしゃれしたいからおしゃれする。男の為におしゃれしてるんじゃないから、のように、男を楽しませるために体出してるんじゃないから、ということ?昔は足を隠していたスカートがだんだん短く、自由になっていった、その延長とか?

 

裸、特に女性の裸について、わいせつとかHとかやらしいとか、そういう性的(この言葉がぴたりと合っているか疑問だけどとりあえず)な対象である割合や強さについて国や地域によって差がある。性的ではあっても、殊更、いやらしい目で、個人の興味対象として見るか、セクシーだとは思ってもそれはそれでクールに見ることができるかという線引きができるか。

 

随分前に、北欧の、普通のサウナの普通の広告にトップレスの男女の写真が使ってあって驚いたことがあるけど、そういうことなのかなと今更ながら思った。インドでのレイプの多さの要因の一つに、男性が女性の肌の露出に慣れていない為、性的な興味が激しく強い、ということを挙げられていた(それより、女性蔑視が深く根付いた文化と処罰の軽さが大きな要因だろうとは思う)。

 

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この辺まで書いてた。そしてまた最近のこと。アメリカで女性たちが(男性も参加してた)トップレスイベント開催してた。GoTopless

 

これも女性の体の解放かと思ったらそうではではなく、シンプルに男女同権を求める活動のよう。女性のトップレスを規制する州があったり、トップレスを認めている州でも、別の法で取り締まられる場合もある。男性には同様の規制がないんだから女性のもなくそう、もしくは男性にも同じ規制を、ということらしい。

 

イベントの様子を見ると、ちょ、みんな、出し過ぎよ、と思うんだけど、たくさん見てると、まあいっか…て感じがしてくる。

 

女性の胸部については、様々なアプローチがあるよう。こういうのもある。

ありのままを魅せる水着で美を問い直す。フィンランド発、乳がんを克服した女性たちのアートプロジェクト「Monokini 2.0」 | greenz.jp グリーンズ

Who says you need two?

写真、とてもかっこいい。こちらは、乳がん・乳房切除という過程を経た女性の為の水着、ですが、サイトを見ると、はっきりと「社会に浸透している文化を変えること」「自由と解放」の為なんだと言ってる。「乳房再建だけが女性の生活を取り戻す手段という考えは、女性を胸で捉え過ぎている。乳房が一つでも、ゼロでも、女性は完成されていて美しくセクシーであることを、この写真で表明したい。」そしてもう一つの目的として「社会のタブーについて掘り下げて考えたい。露わな乳房は裸、でもなぜ存在しない乳房を露わにすることが裸とみなされるのか。」(存在しない乳房が見えることは不適切なのか、てことだと思う)。なんだかおもしろいな。そして、知らなかったのですが、乳房切除を受けた女性の多くが、再建手術を望んでいない、一つの乳房か、乳房なしで、生きていくことを望んでいる、ということ。これは国や地域で違うかもしれないけど、でも、二つあるのが普通、二つないとだめ、という概念がなくなれば、手術に手術を重ねたくない人は増えるかも。(再建したい、二つがいい、という考えももちろん否定されることではない。)

 

I think it is right that I should be able to make decisions about my own body 自分の体について自分が決定権を持つ、というエマ・ワトソンのスピーチの言葉に集約されるかな。

 

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体操等のユニフォームや、フィギュアスケートの衣装を見て、男性の性的視線を浴びやすい女の子がなぜああいうのを着ることになっちゃってるんだろうとよく思う。けどそう思うことは、規範に縛られ過ぎているのだろうか???でも絶対やらしい目線の男性っているし。

 

解放のためには出さなきゃいけないんだろうか。いや、出したくない人は出さなくていいんだけど。そして実際、たくさん出てるのを見ると、別に出てても普通か、という気がしてくる。けど男性はどうだろうか?きっと変な目で見る人は変な目で見続けるんだろう。でもそういう人に捕らわれる必要はない、ということかな。

 

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何を考えようとしていたのか。特に結論があって書き始めたことでもないので、まとまらないけど、ひとまず上げとこ。

 

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また追加。

女性のことばかり書いたけど、男性に対する女性によるセクハラや、男性のヌードを扱った芸術作品へのクレーム対応として一部ふんわりカバー、という出来事もあった。

 

男性社会でもあり、ある程度の地位にある人間に対して色々緩い、文化度は低い・幼稚。

 

当該女性は全くおとがめなしで、これからも重要なポジションに座り続ける。謝罪の言葉も、セクハラの何が悪いのか、認識していない。都議会のセクハラとはまた違って、明確な上下関係がある中でのセクハラ。上のポジションにある者こそが、自身の言動には当然注意を払い、組織でもそういうことがないように監督しないといけないのに。周りも盛り上げていて異常な光景なんだけど、これが普通にまかり通ってる世界…。たしなめる秘書とかいないのか。イエスマンで固める人なのか。最初に出たコメントが、欧米では普通に挨拶~という、無理無理な言い訳だったのにもほんと驚く。欧米も驚くよ。欧米なら速辞任事案。

 

美術館での男性のヌード(写真)展示については、どういう視点でのクレームだったのか不明だけど、性の多様性LGBT)を扱った作品だったからかな、と思う。ほんとそういうとこ幼稚。でも、一部に薄布を被せるというアーティストの対応が、そういうクレームへの皮肉にもなり、問題提起にもなった。展示と鑑賞により何かを生み出すという美術館の存在意義のひとつが感じられた。作品の展示と鑑賞によって(クレーマーは鑑賞した訳じゃないけど)、今回は、今の日本でゲイやアートがどう受け止められるのか、提示される結果になってて、この点はおもしろいなと思った。

 

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性からは離れるけど、イギリスで、電車内で人種差別発言繰り広げる酔っぱらいの動画で逮捕、というニュースもあった。その厳格さに改めて感心した。一般の人が撮影してネットに挙げられた動画できっちり逮捕。ほんと、ゼロトレランス

 

一方、日本では国家公安委員長ヘイトスピーチについて、「違法行為があれば厳正に対処」。取締まる法律がないから、対処しないんです、てことだよね…。法制度がないのがおかしいとは考えない。憂慮すべき、よくないこと、とは仰ってるけど。「よくないこと」て。ゆるゆるだな。

 

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女性に関するあれこれや、男性社会であるとか、セクハラに寛容とか、ヘイトに寛容とか、色々あるけど、結局のところ、人権に対して緩い国ということに尽きるのかな。